2023年09月20日 経営者層の倫理観とリテラシー
前説
中小零細ブラック企業で一人でWEBマスターをやっている者の話。
プラットフォームはMovableTypeまたはWordpress、企画・設計(このあたりはチームじゃなくて共有しないから頭の中だけで済む)からシステム構築・SEM/マーケティングに基づくライティング/コンテンツ作成・コーディング(もちろんプラットフォーム関連のコードやscriptなども)・SEO対策・SNS連携・SEM対策、そして運用にブラッシュアップをして、ネットからの売上を伸ばしてきた。ECではない、反響営業用の情報がCVというものが主だ。
ネットやwebの世界とは普段当たり前に使っている誰もが素人で、制作やマーケティング等を生業とする方を中心とした一部の方以外は不明な世界だ。
まぁ普段当たり前に使っているので解かったつもりになっている方も少なからず居て、それは特に中小・零細の経営者層に多い。これは自分の経験則だが、業種・業態によりマーケティングが異なりそれにより執る施策も異なるがそういった事を一切解っておらず、経営者層だからその業界に長く居るわけだがそこでの成功体験から自分はこの業界関連のことなら何でも解ると勘違いしているのだろうと思う。
スポーツの世界で名選手が必ずしも良い指導者になるとは限らないと言われている事より遥かに高い確率で、その業界とは(ある意味)乖離したネット世界を理解しておらず、想像(考えようと)すらしようとしない。
たとえ零細といえど一定年数企業体を維持し売り上げ・利益を出していれば、その業界での商売としては成功者と言えるのかもしれない。少なくとも同業他社と比して事業/会社規模が小さい場合はそれによる上昇志向はあれど成功体験を自負している。だがそこが落とし穴というか、売り手本位の考えでしか関連する物事を考察できず、特に拡大路線を進もうと新たな世界にて商売を推し進めようと考えたときに、その傲慢不遜さが仇となり失敗する。
今やHPなどあって当たり前の世の中だが、そのネットの世界とはそんな経営者層には理解しがたい技術やスキームで成り立っており、業界知識だけでは到底何もできない。でもこれってほんの物の道理で、こうしたことに限らず論理的思考を以て考慮すれば、相対する世界についての知識、最低限成り立ち方くらいは必要という結論に至る。
そうした思考や謙虚さの無さの良い例として、昔相撲界で不祥事が相次ぎ危機管理部門を作ったがそこを構成する人員も相撲取りOB(親方とか)で、結果再発し何の役にも立たなかった、そしてようやく危機管理のプロを外部招聘したというものがある。
相撲とその世界は超プロだが、危機管理はド素人であるということを、危機管理とは相撲を取ることやその閉鎖された世界とは異なるという極めて当たり前の考えを持てなかった。
昨今ビッグモーターの不正について喧しいが、ある識者の見解に盛和塾の教えを曲解して用いたことも一つの原因とか記述があった。
盛和塾の教義はその塾の役をやっていた社長の会社に在籍したことがあるので解かるが、宗教や法律もそうだが解釈一つ用い方一つで組織をおかしくする。
件の教義は論語=儒教思想を取り込んでいるので個人的には好きではない。儒教思想には「子は枝葉」、子は親を作れないが親は子を作れるという行があり、たとえ子が物心付く前であっても一つの命・一つの人格であり、親が何人子を作ろうが同じ子は作れないことからねずみ講の礎のように感じているし否定している。
あと盛和塾の教義にはコンパなるものをやれとあるが、実際それに参加した身としては(定時外にやるので尚更だったが)全くの無意味。少なくとも友達と行く飲み会とは比べようもなくつまらない不毛なもので時間のムダである。キーエンスの社員同士のそうした会は禁止という方針とは真逆、少なくともコンパ(会議室などでの軽い飲み会的なもの)程度での上っ面だけの関係性が互いの職務にとってプラスになることはない。稲盛さんの教義にはベクトルを合わせというのもあるが、それを稲盛さんが意図して書いた通りにやればコンパなんて不要だろ。個々(各部門・各人)が会社の定めた指針・方向性に向けて考えて職務を執り行うというのが確かベクトルを合わせるってことの基中だったと記憶している。
経営層の勘違いが進むとその幹部のスキルはともかく素人幹部が現場にやり方まで指示するが(要は指示が的確かどうかだが)それが間違いで、特に専門職であれば素人から指示されることでモチベーションは下がるし、それが本来の職務外についてのことであれば尚更だし、言われた側は社命だからやるが、何れ言われたこと以外はやらなくなるのが道理。そしてその専門職の従業員からは有益なアイデア提案が会社には為されなくなる(筆者自身がそうだ)。職務契約もあろう、多くの中小零細がブラックと化するのは、人手不足などを理由に職務外の業務をやらせることに発する、経営からすれば人件費を増やさずすむから生産性が上がるなどと勘違いしがちだが、逆を行っているだけでしかない。
ここで性質が悪いのがコンパなどで培われた中途半端な人間関係と仲間意識で、仕事の押し付け合いが蔓延する。性状断り辛い従業員は不条理によるストレスが溜り退職者が増え、各々が培ったスキルや知識挙げ句にはフローやスキームさえも消失する。良い会社というのは一見重要な人間が辞めてもある程度は回して行けて何れ元に戻るもので、個の能力に頼りきりの企業に限って人事が偏向していて職務以前の部分で不満が溜りやすい。
重要なのは稲盛さんや松下さんの経営に関する言葉や兵書に書かれていることではなく、論理と道理と謙虚さである。
それらがあれば、経営者とて諸事完全ではない(そもそもそう思っていない輩が多い)が論と道理で捌き煮炊きし、不明な点は素直に聴きリテラシーを自ら高めることで、組織をうまく回せるようになれるのだ。
トップだからと虚栄を張るのではなく、不明なもの不明だとはっきりさせることで社内・部下からの信用や助けを得られまた個々人のスキルを引き出せるというものだ。