2025年02月05日 Japan As Japanese %e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%af%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%ae%e5%9b%bd %e6%97%a5%e6%9c%ac %e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%b8%bb%e6%a8%a9%e3%81%af%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba %e5%9c%b0%e7%90%83 %e4%ba%ba%e9%96%93%e3%82%82%e5%9c%b0%e7%90%83%e3%81%ae%e4%b8%80%e9%83%a8 地球上での人類共生
現代の世界情勢を俯瞰すると、戦争のみならず、国家間で資源や物資を奪い合う構図が顕著に見られるが、このような世界の現状を把握することは日本が今後の進むべき道を考える上で不可欠な前提となる。
先ず、人間を構成する細胞、現代の人間の活動・社会に必要な物質は地球由来であり有限である。物質的な観点から見れば、人間もまた地球の一部にすぎず、人間はもとより生物の生存・繁栄にはさらなる物質とその循環サイクルが必要になる。
しかし、人類の活動によって生じた廃棄物・変性物の多くは、自然界における循環過程が非常に長期間を要するが、現代文明を以ても必要とする速度での循環を実現できていないため、持続可能な形で地球資源を活用することは依然として困難である。
加えて、地球外から資源を取り込む技術も未だ確立されていないため、必要なタイムスパンでの調達がままならない状況にある。
一方で、地球資源の分布には偏りがあるが、それを貿易などの仕組みで公平に分配することが理想であるのに対し、現実には一部の国家や企業が資源を独占し、不均衡な分配が深刻化している。
こうしたことから人種・組織・国家間で奪い合う状況が生じており、多くの対立や紛争を引き起こしている。
現代文明により作り上げられた嗜好や物欲を満たすことはもちろん、生存に不可欠な食糧ですら全人類に行き渡っていないのだから、そこに争いが起こるのは当然で、地球を一つの国家とみなすような、地球としての国家観などが現代の現実的な議論の中では対象外とされているのだから当然である。
「もし地球が100人の村だったら」という比喩があるが、この100人という比喩のための数値を地球上の適正人口とすると、現在は大きく超えているのではないか。
地球上資源などの偏在はあるが、それぞれが貿易などで賄うことができれば、侵略などで自国の物資を賄う必要はない。歴史的な背景からすべて貿易でというのは無理があるが、地球上の人間・国家それぞれが貿易などを通じ公平・適切な分配をされていないのだから、優に「100人」を超えていると考えられる。
つまり100人の村というのは、それだけではある意味美談であり、100人を単なる比率ではなく適正な数値を母数としたとすると、実際はもっと酷く富・(物質的な)幸福は偏っていると考えられ、事実現在の文明では物理的に地球上の物質の奪い合いとなっている。
余談
仮にこのまま現在の文明が1000年存続した場合、1000年後は現在では想像もつかないほどの進歩を遂げる可能性が高い。そして、もし1000年後の人類が現世に対して争いを起こせば、現代文明は放射能などによる汚染を伴わず滅ぼされるだろう。
1000年とは長く感じられるかもしれないが、宇宙が出来てからを考えればほんの一瞬であり、その一瞬の差で大きな文明・進化の違いがあるとすれば、宇宙には地球よりはるか前に誕生した星が多いことから、地球上の人類は自らの存在に対しては本来謙虚であるべきだ。
国家・民族の宗教観や道徳観、主義・アイデンティティといった思想に加え、生存に必要な資源や物質的要因が複雑に絡み合うことで、民族間や国家間の争いが絶えることはない。それは地球上の人間が有限な資源の上で生存を続けている限り避けられない現実である。
あi